「泡沫(うたかた)の 夢を覚ますや 梅一輪」・・・・・・「君知るや 野辺の朝路の 露ほどに 渇き潤(うるお)す 才を待てりを」・・・筆者、近作
人生は時として、大海原を小舟で渡る擬態の様でもある。
異国の港に何が待ち受けているか?
その予備知識すら求めず、ただ小舟を操る自負を期待し、僅かな貯(わくわ)えと、小さなオールで成功者への道を求める。
松尾芭蕉は、「奥の細道」と云う課題の為、決死行とも云える旅立ちを決意し、「武蔵野を出ずる時、野ざらしを心に思い旅立ちければ・・・・・・」と記している。
「生と死」、「明と暗」、「優と劣」、「前と後」、「坐と歩」、「動と静」、様々な二項対立を眼前に置いて、言葉は輝きを放つ。
三月を「弥生(やよい)」と呼称するは、眼前の意識を問うのではないか?
明日は「ひな祭り」。
女子の成長に欠かせぬ「秘訣」を祭る日でもある。
与謝野鉄幹も、「妻を娶(めと)らば才たけて みめ麗しく情ある・・・」と情(なさけ)を失わぬ理想を詩に残している。
「情けない」が、常套句(じょうとうく)に成らぬ人生を祈念して、海の向こうの詩を沿えておこう。
夫天地者萬物之逆旅
光陰者百代之過客
而浮生若夢
爲歡幾何
古人秉燭夜遊
良有以也
況陽春召我以煙景
大塊假我以文章
夫れ天地は萬物の逆旅にして
光陰は百代の過客なり
而して浮生は夢の若し
歡を爲すこと幾何(いくばく)ぞ
古人燭を秉り夜遊ぶ
良(まこと)に以(ゆえ)有る也
況んや陽春の我を召すに煙景を以てし
大塊の我を假すに文章を以てするをや・・・
「そもそも天地は万物を迎え入れる旅館のようなもの、光陰は永遠の旅人のようなものだ、そして人生とは夢のようなもの、楽しさも長続きはしない。
古人は夜も蝋燭をともして遊んだというが、それには理由があるのだ、いわんや陽春は美しい景色で私を招き、大地の恵みは私に文章の才を授けてくれたのだ。
會桃李之芳園
序天倫之樂事
群季俊秀
皆爲惠連
吾人詠歌
獨慚康樂
幽賞未已
高談轉清
開瓊筵以坐華
飛羽觴而醉月
不有佳作
何伸雅懷
如詩不成
罰依金谷酒數
「いまや桃李の芳園に集い、天倫相語る楽しさを述べよう、ここにいる多くの俊秀は、みな謝惠連のような詩才を持っている、この私ときては謝康樂にも及ばない、
ほめ言葉が終わらないうちから、高談はいよいよ清らかに展開する、珠の筵を敷いて花咲く樹木の下に座し、羽飾りのついた杯を飛ばして月の光に酔う
佳作が作れなければ、どうして胸の思いを述べえようか、もし優れた詩がかけなければ、その罰は金谷の酒の數ほど受けよう。」・・・
「李白」の思いは、人生は試練の逆行の勢いに呑まれず、才を豊かにする旅であると看破する事である。
軍歌にも「往けど進めど道無き道を 往けば戦野は夜の雨 済まぬ済まぬを背中に聞けば 馬鹿を云うなと又進む 兵の歩みの頼もしさ」と、ハンデを抱え、逆境を越える精神を鼓舞している。合掌