狩野 常信?

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最近、当家に寄寓する事に成った「狩野 常信」筆、「荘に鹿之図」を堪能有れ!合掌

狩野一族は代々、「絵師」を志し、幕府のお抱え絵師で在り続ける必然に立つ。

当然、目の肥えた人物達に感動を与えるには、「狎れ・馴れ・鳴れ、熟れ・熟れ・成れ・慣れ・生れ」の技法に秀でる必要もある。

見る」とは何か?

「見た」とは何か?

問いかけは、芸術家にとって「樋(とい)・かけ」でもある。

「天」の「意(こころ)」を知らぬは、「天(あま)・視ず」とも思え、雨水」を集めて地上に流す「問いかけ」を平面に映すのであろう。

近所の小学生達の写生レベルでは、動機(モチベーション)の有無は極めて単的でもあろう。

人々の本当の幸福とは何か?

「絵」を会(介)して本来の自己に目覚めさせる意義に立った時、「目に映った」のに「忘我自失」?で在り続ける惰性を阻止する手段、方法を講じたとしても不思議は無い。!

「目に映す」努力すら思いつかない不自然を、人々は知らなければならぬ!!!

芸術性とは、能(はたらき)であり、覚醒であり、同義的に法悦に向かうきっかけでもあると自負しなければ、ライフワークを失ってしまう。!!

まっ、そこで「木挽町(こびきちょう)」の絵師の頭領は、題材に「荘ニ鹿之図」を選んだ。

「五叉路」が「康」、健康の意義でもある。

「六叉路」が「荘」で表され、「天意」の「厳(いか)めしさ」が加わり、「荘厳」の意義でもある。

仏教観で補足すれば、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道の交叉(交差)に、猜疑(さいぎ)の蠢(うごめ)く六叉路に立つ痩せた鹿がこちらを「凝視」するポーズを用いたのか?

狩野 常信(かのう つねのぶ、寛永13年3月13日1636年4月18日) – 正徳3年1月27日1713年2月21日))は、江戸時代前期の江戸幕府に仕えた御用絵師。父は狩野尚信。幼名は三位、右近と称し、養朴・耕寛斎・紫薇翁・古川叟・青白斎・寒雲子・潜屋などと号した。子に後を継いだ長男・周信、別に浜町狩野を興した次男・岑信、さらにそれを継いだ甫信がいる。

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連絡先 izawaitiban@docomo.ne.jp

 「蕩子の生涯貯蓄無し

  山雲渓月是れ青氈

  東西白踏す 一条の道

  途中家舎の辺に在らず」(夢窓国師)

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